北九州市八幡東区宮の町にある蓮の寺、浄土真宗本願寺派 廣照山 慈光寺の光慈くんのブログです。

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早くも梅の実が!

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a-umenoki

 

本堂前の梅の木を

下から見上げると・・・

あらら~

もう立派な実をつけているではないですか (^o^)

 

a-umenomi

 

来月の収穫時には

かなりの大きさになっていることでしょう。

梅干し、梅酒・・・ 今年も楽しみです。

さて、

「桃栗三年、柿八年、

柚の馬鹿野郎十八年、

梅はすいすい(酸い酸い) 十六年」

などと言いますが、

地方によっては様々な言い回しがあるようです。

 

桃栗3年、柿8年、 

梅はすいすい13年、
 ユズは大バカ18年、
 りんごニコニコ25年、
 女房の不作は60年、
 亭主の不作はこれまた一生

これは ちょっと酷いです・・・ネ。

 

ところで、蓮の芽も順調です。

蓮の葉らしき形になってきました。

こちらも楽しみに…。

 

a-hasume5

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五月の掲示板「身心一如」

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今月の掲示伝道。

 

「頭でっかちは 必ず転ぶ

心も身体も 育てるべし」

 

にしました。

 

a-掲示板5

 

道元禅師のことばに

「身心一如のむねは、仏法のつねに談ずるところなり。

しかるに、なんぞ、その身の生滅せんとき、

心ひとり身をはなれて、生滅せざらん」

(『正法眼蔵』弁道話 より)

とあるそうです。

 

ウムウム、身心一如 。

 

「身体と心は一体である。身体があるから心が存在する。

その逆はないので、心身の順番ではなく、身心一如という表記なんだ」

と教えて頂いたことがあります。

無常なる身を先に置き、それに心を従わせることを

「身心一如」といったのかなぁ~。

禅の奥義はわかりませんが、

身体感覚より知性を重んじる傾向の強い現代に

警鐘を鳴らす一言。

 

そういえば、

「腹が立つ」と表現していた「怒り」が

いつのまにか

「頭に来る」から「むかつく」

そして「キレル」と変化してきたのも

身体で怒りを受け止めることができなくなった

現代人の証左かもしれませんね。

「腹が立つ」怒りは、ハラの中で納まるけど

キレタ怒りは爆発するしかないでしょうから…。

 

a-fudou

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