第七回「落語の中の仏教」。
今回の演者は桂吉朝
![a-003吉朝紹介](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2013/10/a-003吉朝紹介.jpg)
将来の桂一門を背負う逸材といわれながら早逝した落語家。
米朝一門の事実上の止め名である名跡「桂米團治」を継ぐことになっていたといいます。
一方、米朝は息子の小米朝が継承のはずだったのが
吉朝が亡くなったため、
小米朝が五代目「桂米團治」を継ぐことに。
それほどの実力者。
今回の演目は「天災」
![a-002桂きっちょう天災](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2013/10/a-002桂きっちょう天災1.jpg)
実はこの演目、人間国宝、柳家小さん が得意としたネタ。
もともと江戸の落語ネタだったものを
吉朝師匠が上方風にアレンジしたとか。
いま、上方でこれを演れる人、いるのかなぁ~。
母親にまで手をあげる喧嘩好きな男が
心学の先生から
「なにごとも天災と思えば腹も立たぬ」
と戒められ
長屋の夫婦喧嘩を収めようとする話。
最後は地口落ちで下げ(天災でなく前妻で…)。
さて
落語には
ことわざや慣用句がよく登場します・・・。
今回もいろいろと登場しました。
![a-004ことわざ](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2013/10/a-004ことわざ1.jpg)
親孝行の慣用句。
最後の
「さりとて石に布団はきせられぬ」
なんて なかなかおもしろい表現と思いませんか。
![a-005親孝行](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2013/10/a-005親孝行.jpg)
![a-006やなぎ](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2013/10/a-006やなぎ.jpg)
堪忍するのを柳のたとえで
うまく諭す落語の中の先生。
![a-IMG_8220](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2013/10/a-IMG_8220.jpg)
堪忍袋を胸にかけろ!との誡めも
落語で聞けば ぐっとくる内容に。
なんでもかんでも なにかのせいにして
腹を立てるこの男。
そこがポイント。
『おてらくご』の作者、釈徹宗師によれば
この落語は 原因帰属理論 を説明するのに
ちょうどいいとか。
釈氏によれば人間は不安になったとき原因を知りたがるそうです。
原因をみつければ安心できるのが人間の性質だとか。
以下、釈氏の説明をどうぞ。
「何かの原因を、周囲や社会や環境に帰属する(求める)ことを
外的帰属といいます。
これに対して自分自身の性格や能力に帰属するのは
内的帰属です。
何かの現象をきちんと原因帰属させるのは
生活上の適応能力です。
でも中には帰属の失敗を繰り返す人もいます。
失敗は外的に帰属して(例:人のせい)、
成功は内的に帰属する(例:自分の手柄)なんて人もいます。
これでは具合が悪いですよね。
さて不幸の原因を霊や祟りへと帰属させる人もいます。
そして浄土真宗がその回路を避けることは
よく知られているようです。
ただ、霊や祟りの問題を
すべての人が納得できるように否定することはできません。
霊や祟りを信じる道もあるでしょう。
しかしそれは私には関係ありませんという道を歩むのが
浄土真宗の生き方だと思います」(『浄土真宗はじめの一歩』より)
![51nny7abuTL__SS500_](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2013/10/51nny7abuTL__SS500_.jpg)
今回の「落語の中の仏教」では、釈氏が紹介した原因帰属理論を紹介。
![a-008原因帰属](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2013/10/a-008原因帰属1.jpg)
第三の「宗教的帰属」として
「お陰さん」や「観音菩薩の化身」、そして「ご縁ですね」
などを説明しました。
これが講座のキモとなりました。
![a-009ご縁ですね](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2013/10/a-009ご縁ですね.jpg)
やはり 釈氏がいうように
落語と仏教は縁が深いですネ。
次回もお楽しみにどうぞ~ (^_-)
ここでクリア