昨年から続けてきた
常例法座企画
落語の中の仏教
一応
昨年の十一月に
演目 百年目 で終了。
でもNHKのEテレにて
釈徹宗師による
「落語でブッダ」が放映されたので
番外編として
先月と今月は
みなさんでこの番組を鑑賞することに!
さて、
最後を飾る落語は・・・・
![d001](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2014/03/d001.jpg)
「松山鏡」です。
古典落語としては あまり知られてない演目かな?
でも
浄土真宗のお説教では 結構 語られていますヨ。
( 慈光寺住職もよく使うネタです )
内容は・・・
越後の松山村で
鏡をみたことのない人々が繰り広げる滑稽話。
正直ものの 正助どん
やきもちやきの 妻の お咲
裏のお寺の 尼僧さま
![d002](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2014/03/d002.jpg)
演じますのは 上方落語の 露の団姫(まるこ)
![d20140312_201851](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2014/03/d20140312_201851.jpg)
この方ならではの オリジナリティ溢れるサゲ
こんな感じ・・・で オチがあります
(是非テレビをみてください~)
![d20140312_202159](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2014/03/d20140312_202159.jpg)
鏡をしらない尼さん、
自分の姿をみて
女が出家したと勘違いするのがこの落語のサゲ(ネタバレ)
ありのままの姿を認識できずに
屈折して認識してしまう人間の迷いにこそ
苦悩の源泉がある!と釈師はテレビで力説されます!
ではなぜ
ゆがんだ見方を人間はしてしまうのか?
![d003](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2014/03/d003.jpg)
そこで
仏教の唯識をつかって説明するのです。
そう、八識 というやつです!
![d004](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2014/03/d004.jpg)
テレビでは こんな例話をだしていました
嫌いなダンナさんが使うコーヒーカップは
なぜ汚くみえるのか?・・・
同じコーヒーカップなのに
好きだった頃のカップは汚く見えなかったはず?
こんな感じで 釈師は八識を説明してゆきます
でも たとえがキツイなァ~ (^_^;)
夫婦ネタは 現実味がありすぎで
シンドイ?ですよね。
そこで
今回は別のたとえを使って
常例参詣者にお話をしてみました。
(ブログでは省略します
お彼岸法要の折にでもお話しましょう)
いずれにせよ、
私たちは
自分が抱えている屈折した心の鏡によって
物事が曲がって見えているということです。
お釈迦様のたとえ話 にもこういうものがあります。
鉢の中の水は
日頃は澄んでいて表面は美しく
すべてのものをありのままに映し出す鏡のよう~
しかし、
①風で波経つ むさぼり
②火で煮え立つ いかり
③水がくさる おろかさ
という状況になれば
水に映るものは ありのまま とはいかなくなる
むさぼり いかり おろかさ
は、まさに認識をゆがませる代表選手なのだと!
![d006鉢の中の水](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2014/03/1fd90338ebf1e9da280ce2460a898fcc.jpg)
番組の中で
印象に残ったのは
ベトナムの僧侶 ティク・ナット・ハンのこと。
![d006](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2014/03/d006.jpg)
日本に来られたとき
講演の中で
彼は 一枚の紙をもって
参加者に語ったそうです
「この中に 雲が見えますか?」と。
釈師によれば
「一枚の紙の中に 雲をみるのが 仏教の縁起」だ!と。
![d007](https://jikoji-blog.com/wp-content/uploads/2014/03/d007.jpg)
最後に
もう一つの演目「仏馬」も鑑賞して
今月の常例法座は終了。(これもおもしろい演目です)
シリーズ「落語の中の仏教」は
これにて おしまい!
こういった形で仏教に触れるのも
結構 おもしろかったです。
また機会があればチャレンジしてみます。
請う、ご期待 (^_-)
釈くん、御指南、有り難うネ
ここでクリア