北九州市八幡東区宮の町にある蓮の寺、浄土真宗本願寺派 廣照山 慈光寺の光慈くんのブログです。

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七月の伝道掲示板

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今月の掲示伝道は

スポーツ評論家の二宮清純氏の言葉。

 

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「ミスをしない選手は超一流

 失敗を成功につなげる選手は一流

 責任を転嫁して失敗を繰り返すのが二流

 三流は自分が失敗したことすら気づかない」

一流とか二流という表現をお寺の掲示板に使うのは

ちょっと気が引けたけど

中学生の通学路にもなっている掲示板の通り。

思春期の彼らがこの言葉から何かを感じ取ってくれれば

と敢えて選んでみました。

言葉は時に自分を映し出す鏡となるはず。

クラブ活動に汗する中学生が

この言葉を通して 自分の現在地を確かめることに期していま~す。

スポーツ選手の語録を読むのは好きな方…。

このブログをコツコツ続けてゆくと

何か大きなものにつながってゆくはず! と

イチローの語録から励まされました。

「小さいことを積み重ねることが 

 とんでもないところへ行くただひとつの道」

  (『イチローUSA語録』より)」

 

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浄土真宗日曜講座スタート 

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一昨年から始まった浄土真宗講座

初級編 では「作法」「しきたり」を中心に。

中級編 では 仏教の基本的考え方を学び

「念珠つくり&写経」にも取り組みました。

そして第三弾!として

問答編「仏教ではこう考える」浄土真宗講座 を開始。

 

仏教ではこう考える表

 

過去二回の講座の反省会で

直接質問をぶつけて住職に応えてほしい!

という声が多数あがりました。

では、いっちょ 問答やりまひょか~

という軽いノリで 

はじめることになったのが

この講座。

住職の力量不足もかえりみず 

スタートをきってしまいました (^^;)

「仏教ではこう考える」

実はこの講座名。

いまをときめく宗教学者・釈徹宗 師の書籍名からのパクリです。

 

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以前から

原理原則を押しつける人間は苦手なタイプの私。

でも

押しつけはおかしい!

相手の判断を尊重したら!

などと反論するパワーも持ち得ず

悶々とすることもたびたび…。

宗教や仏教、浄土真宗に関しても

同業者に 

原理原則をごり押しするタイプが 

やはり いるもので

違和感を覚えずにはおれないことも、少なくなく…。

あくまでも 教えに関して言えば

相手がそれを取捨選択して「生きてゆく」だけのことなのですから

こちらは 情報(こういうと叱られそう~)を提供するのみ。

ご判断は “あなたまかせ” といった感じで

ちょうどいいのではと思っております。

これこれの問題については

「仏教的な視点ではこう考えますかね?」

「浄土真宗の教えに照らすと こんなこともいえますねぇ~」

程度のレスポンスが よい加減でいいのではないか!

というのが私のポジションです。

(自信のなさの言い訳かもしれませんが…)

だから釈師にならって

原理原則を押しつけることとは

真逆の

「仏教ではこう考える」 あなたはどうします?

的な講座名となった次第。

もちろん、親鸞さまが語ったとされる次の言葉に従ったまでですが…。

「詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。

このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、

またすてんとも、面々の御はからいなりと云々」『歎異抄』第二条

 

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さて、初回のテーマは「宗教の真偽」

ほんものの宗教 と にせものの宗教 の見分け方

と大上段に構えて 講座をスタートさせました。

意気込み!を感じてもらおうとしたのですが

見事に住職の底の浅さを露呈した結果になってしまいました。

と ほ ほ…。

でも次回に期待して参加してくださる25名の門徒の皆さんのために

六回の会座は開き続けますので お付き合い よろしくどうぞ~。

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四月の伝道掲示板

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20134掲示

 

フランスの作家、アンドレ・ジードの言葉。

新年度がはじまり、仕事や生活の環境が変化しがちな時期。

だからこそ「平凡な日暮らし」の大切さをかみしめたい!

そんなメッセージのつもりです。

ノーベル賞作家であるジードの代表作といえば「狭き門」。

 

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新約聖書の

「狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、

その路は廣く、之より入る者おほし」

というイエス・キリストの言葉に由来する題。

キリスト教には全く疎い私。

知り合いのK牧師に深意を尋ねてみたいです。

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