北九州市八幡東区宮の町にある蓮の寺、浄土真宗本願寺派 廣照山 慈光寺の光慈くんのブログです。

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新聞に掲載

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今月四日の遺跡説明会のことが

毎日新聞に掲載されました。

新聞記者が取材にきていたのは

しっていましたが

その後、毎日新聞の記事をさがすけれど

一向に見当たりません。

ボツになったのか!と思っていたら

八日後の本日、記事掲載。

嬉しいやら、ほっとするやら・・・・・・

 

a-毎日新聞記事026

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五万年前の石器

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正月明けまで

出土品の一部を本堂に展示中です。

 

a-IMG_2652

 

今回の出土品の中でも

白眉なもの!

旧石器時代の石器です。

 

IMG_2654

 

なにしろ、

4~5万年まえ のものというからスゴイ。

裸同然の暮らしをしていた当時の人類。

言葉もろくにしゃべれなかったにちがいない。

北九州市からもそんなに沢山

出土していないとのことです。

続いて

弥生時代の高坏

 

a-IMG_2653

 

この地域は

もともと弥生遺跡で有名な場所。

高槻式弥生土器は

考古学では有名だそうです。

宮ノ下遺跡から出土したものの多くは

弥生時代のもの。

この高坏、復元に期待できそうです。

そして 

三世紀、

ヤマト政権が力をのばしていたころの土器。

 

IMG_2655

 

当時、奈良で多くつくられていたということです。

それが

この北九州で見つかったということは・・・。

すでにそのころ人的交流があったという証拠。

学芸員の宇野先生。

個人的にはこの土器の発見が

今回一番嬉しかったとか。

(^_^) よかったですね

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製塩土器と白磁器

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この場を借りて

出土品の一部を紹介。

9世紀、

海水を煮詰めて塩をつくっていた製塩土器

 

製塩土器

 

当時、塩は国家が管理。

製塩したものはすべて太宰府へ。

そこから分配されていたとか。

平安時代、中国、おそらく宋の時代、

博多経由で輸入された白磁器

 

hakuziki

 

一般庶民が使っていたとは考えにくく、

この地域の有力者が居住していた可能性が大。

ただいま、本堂に展示中。

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