第七回「落語の中の仏教」。
今回の演者は桂吉朝
将来の桂一門を背負う逸材といわれながら早逝した落語家。
米朝一門の事実上の止め名である名跡「桂米團治」を継ぐことになっていたといいます。
一方、米朝は息子の小米朝が継承のはずだったのが
吉朝が亡くなったため、
小米朝が五代目「桂米團治」を継ぐことに。
それほどの実力者。
今回の演目は「天災」
実はこの演目、人間国宝、柳家小さん が得意としたネタ。
もともと江戸の落語ネタだったものを
吉朝師匠が上方風にアレンジしたとか。
いま、上方でこれを演れる人、いるのかなぁ~。
母親にまで手をあげる喧嘩好きな男が
心学の先生から
「なにごとも天災と思えば腹も立たぬ」
と戒められ
長屋の夫婦喧嘩を収めようとする話。
最後は地口落ちで下げ(天災でなく前妻で…)。
さて
落語には
ことわざや慣用句がよく登場します・・・。
今回もいろいろと登場しました。
親孝行の慣用句。
最後の
「さりとて石に布団はきせられぬ」
なんて なかなかおもしろい表現と思いませんか。
堪忍するのを柳のたとえで
うまく諭す落語の中の先生。
堪忍袋を胸にかけろ!との誡めも
落語で聞けば ぐっとくる内容に。
なんでもかんでも なにかのせいにして
腹を立てるこの男。
そこがポイント。
『おてらくご』の作者、釈徹宗師によれば
この落語は 原因帰属理論 を説明するのに
ちょうどいいとか。
釈氏によれば人間は不安になったとき原因を知りたがるそうです。
原因をみつければ安心できるのが人間の性質だとか。
以下、釈氏の説明をどうぞ。
「何かの原因を、周囲や社会や環境に帰属する(求める)ことを
外的帰属といいます。
これに対して自分自身の性格や能力に帰属するのは
内的帰属です。
何かの現象をきちんと原因帰属させるのは
生活上の適応能力です。
でも中には帰属の失敗を繰り返す人もいます。
失敗は外的に帰属して(例:人のせい)、
成功は内的に帰属する(例:自分の手柄)なんて人もいます。
これでは具合が悪いですよね。
さて不幸の原因を霊や祟りへと帰属させる人もいます。
そして浄土真宗がその回路を避けることは
よく知られているようです。
ただ、霊や祟りの問題を
すべての人が納得できるように否定することはできません。
霊や祟りを信じる道もあるでしょう。
しかしそれは私には関係ありませんという道を歩むのが
浄土真宗の生き方だと思います」(『浄土真宗はじめの一歩』より)
今回の「落語の中の仏教」では、釈氏が紹介した原因帰属理論を紹介。
第三の「宗教的帰属」として
「お陰さん」や「観音菩薩の化身」、そして「ご縁ですね」
などを説明しました。
これが講座のキモとなりました。
やはり 釈氏がいうように
落語と仏教は縁が深いですネ。
次回もお楽しみにどうぞ~ (^_-)
ここでクリア