北九州市八幡東区宮の町にある蓮の寺、浄土真宗本願寺派 廣照山 慈光寺の光慈くんのブログです。

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落語の中の仏教 『宗論』

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四月の常例法座。

今年のテーマは落語の中の仏教。

第3回は古典落語『宗論』を取り上げました。

 

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狂言でも取り上げられているこの演目。

もとは 法華宗と浄土宗の論争がモチーフ。

それが大正時代に

浄土真宗とキリスト教のネタに作り直されたとか。

落語の中でも小ネタ(あまり長くないもの)の部類に入るので

今回は大判振る舞い~っと、

同じ演目を二人の演者で楽しんでもらうことにしました。

一人は春風亭小朝師匠の弟子、

五明樓 玉の輔(ごめいろう たまのすけ)師匠。

 

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もう一人は三遊亭好楽師匠の弟子、三遊亭兼好師匠。

どちらもまだ四十代と若さ溢れる高座に期待しました。

 

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落語の世界には

「演者が“さげる”と客が“おちる”」

という言葉があるそうです。

最後のしめを

さげ」とか「おち」というのは

そういう意味だったんですね。

二人の演者のサゲとオチがどう違うのか見所です。

 

さて、宗論という言葉、

一般の人には馴染みの薄いものでしょう。

本来の意味は

「教義の異なる宗派の間で、その優劣、真偽などが論争されること」

を意味します。

この落語では

浄土真宗を信仰する店の主人と

キリスト教を信じる若旦那との間に繰り広げられる

論争を滑稽に語っています。

 

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 (120インチのスクリーンでの落語上映会の様子)

 

なんといってもこの落語で有名な台詞は

「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」でしょう。

 

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互いに信じる宗教に固執している様を

見事に笑い飛ばす 落語の智慧は、きもちのいいものです。

自分の信じる宗教に相手を取り込むために

その真偽や優劣を競っても

所詮、御縁が熟さなければ その宗教には出会えません!

ということでしょうか。

「つくべき縁あればともない

 はなるべき縁あればはなる」

という『歎異抄』のお言葉を みなで味わって、

常例法座を終えました。

次回はどんな古典落語が登場するか?お楽しみに (^o^)

※第4回は5月28日(火)13:30からです

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